教育学部 音楽教育科
准教授 米谷 毅彦
声楽
一般に「歌」も「合唱」もよく耳にする言叶ですが、「声楽」となるといきなり専门的な用语に感じられる様です。
さて音楽芸术の再现として解かりやすいのは、先ずは楽器の演奏となるでしょう。
例えばベートーヴェンのピアノソナタを好きな人はその楽曲を思い浮かべるだけではなく、旋律の一部を口ずさんだりする事もあるでしょう。
又メンデルスゾーンのヴァイオリン协奏曲の独奏部分についても、同じ様な事があるかも知れません。
しかし目の前にピアノやヴァイオリンを出されたとして、口ずさむように简単に弾く事が出来る人は限られてしまうのは言う迄もありません。
つまりそこには弾き方が必须であり、その习得は一朝一夕で叶うものではないからです。
声に出して口ずさむ行為から音楽芸术を成立させる歌唱への道程、そこへ介在する「声楽」と云う楽器の奏法を学ぶのが当声楽研究室の研究対象です。
自分自身が楽器ですから一口に奏法と言われても直ぐにはピンと来ないでしょう、そこで先ず学ぶのが身体の仕组みと発声の技术です。
客観的に手にする事が出来る楽器と异なり自らの肉体を駆使するのですから、目に见えない何かを掴もうと忍耐の时间を要するのは想像に难くないでしょう。
しかし楽器本体を常に携えているとも考えられ、その意味では様々な试行や确认を日常生活の中で出来るとも言えるのです。
ではどの様に指导及び训练が実践されているのかと云うと、先ずは他の楽器群と同様に国际的に优れた练习曲集を用いて発声技术の伝授です。
しばしば用いられるのはコンコーネ50番や25番或いはパノフカやサルヴァトーレ?マルケージ他ですが、学生の进捗度や个々の课题に慎重に対応しながら当然指导者が独自に创作する音型や楽节を演习する事もあります。
ともあれ声楽と云う楽器の最大の特性は、自らの音声を客観的に聴かれない事です。
个人レッスンでは豊かな経験に基づく指导者の研ぎ澄まされた耳と一方で受讲生の侧は、一声一声へ与えられる助言を自らの身体との関わりで全神経を集中させて理解习得する紧张感のある现场となります。
音声学的な数値には様々な根拠や参考资料を求める事が出来ますが、その瞬间に出ている声の响きの良し悪しと原因はその场に立ち会う生身の人间でしか実感出来ない多岐に渡る要素の认识が必要です。
そして殆どの场合は指导者の経験に基づく耳が音色を判断し、且つ研究の成果としての対策を讲じる事で学习者の技术は一歩一歩前进して行きます。
当研究室では数年间に渡りヨーロッパの歌剧场やコンサートで独唱歌手を务めて来た米谷毅彦(まいやたけひこ)が、教会音楽に起源を発する「响き」の美しさを求める発声技术を指导しております。
世界中のオペラ歌手达と各国で様々な舞台を踏んで来た経験が、成长过程の声楽学习者へ适确なアドヴァイスを与え実りあるトレーニングの积み重ねが确実な成果を约束致します。
さてここで声楽を学ぶ学生の多くはその研钻を通じて、学校教育の现场へ羽ばたいて行く道程が想定されます。
とすればせっかく学び身に付けた声楽技术は他ならぬ、合唱芸术の指导そして创造として実を结ぶべきでありましょう。
当研究室では60年近い歴史を夸る东京荒川少年少女合唱队の常任指挥者兼指导者代表を务めている米谷毅彦(まいやたけひこ)が、児童合唱から成人の合唱団员迄の発声指导及び国内外のあらゆる范畴の合唱作品を手ほどきしております。
同队を率いて2度に渡るウィーン远征公演の成功や全国の合唱コンクールや音楽祭の审査そして讲评他、数多くの経験に基づく合唱作品の解釈さらには指挥法の掘り下げは必ずや教育现场での実践に役立つものとなります。
岩手大学教育学部研究年報 第 81 巻( 2022. 2)1 ~ 18
声楽における母语以外の母音の理解と応用についての一考察